大学生だった1996年、Windows 95が出て、パソコンが一般に広まり始めた頃でした。インターネットがしたくて富士通のFMVを買いました。17インチのブラウン管ディスプレイが本体の上に乗った、デスクトップパソコンです。
しばらくはいろんなホームページを見て楽しんでいたのですが、すぐに自分でも作りたくなりました。秀丸エディタというテキストエディタを入れて、HTMLタグを一つずつ覚えながら作りました。<HTML><HEAD><BODY><p>——そんな感じで。
最初に作ったのは、大好きだったミュージシャンのファンサイトです。
自分が作ったものを、日本中の人に見てもらえる。それまで経験したことのないことでした。夢中でした。夢中だったから、タグもすぐに覚えられました。作り方もすぐに覚えられました。
その年の暮れ、一冊の本を買いました。
『作ろう!魅せるホームページ実践テクニックガイド』(インプレス刊)。大学の近くの書店で、「魅せる」という言葉に反応して手に取りました。当時の書店には、HTMLタグの使い方を説明した本しかなかったんです。
この本を読んで、私のホームページの作り方が変わりました。
それまでは、自分が作りたいものを作っていただけでした。でも、見た人を惹きつけること。見た人に喜んでもらうこと。楽しんでもらうこと。そちらの方が大事なんだと、気持ちが切り替わったんです。
その意識で作り続けた結果、サイトにはファンがどんどん集まってきてくれました。LINEもSNSもない時代に、常時1000人規模が集まるコミュニティになったんです。所属事務所のスタッフやマネージャーからも評価していただけるようになり、最新情報を直接提供してもらえる"実質公認"の存在に。途中からは公式サイトだと思われていたぐらいです。
今の私があるのは、この経験があるからです。ホームページで人を集められる、楽しんでもらえる、喜んでもらえる。それを身をもって実感できたことが、この仕事を選ぶ原点になりました。
「魅せる」は、今でも私の好きな言葉です。
実はこの本、今も手元にあります。書いてある内容自体は、今読んで役に立つことは一つもありません。それでも、私のホームページ作りの原点なので、捨てられずに置いてあります。
2000年、エイベックス(レコード会社)が主催したWebデザインコンテストでグランプリをいただきました。一次審査を通過した218人の中から1位になりました。受賞作品はテレビや雑誌でも取り上げられました。
ただ、応募すると決めたときの私は、正直こう思っていました。
デザイン力では、プロのデザイナーに敵わない。技術力では、プロのエンジニアに敵わない。
じゃあ、どこで戦うのか。
考えたのは、これだけです。
このコンテストの趣旨は何か。審査するのは誰か。アーティスト本人も見るのか。その人たちはどんなホームページを期待しているか。どんなものを作れば、期待を超えて喜んでもらえるか。楽しんでもらうか。
それだけを考えて作りました。だから作り終えたとき、選ばれるかどうかは分からないけれど、やり切ったという満足感がありました。
このとき分かったんです。
私の強みは、デザイン力でもプログラミング力でもない。コンテンツ力だ。見た人の心を動かすホームページ。見た人に喜んでもらえるホームページ。見た人をファンにするホームページ。
そして今、レッスンでお伝えしているのは、まさにこのときの考え方です。センスの話ではありません。「誰が見て、何を期待していて、どうすれば期待を超えられるか」——これは、考える順番の話です。だから、教えられます。
グランプリをきっかけに「ホームページ制作を仕事にしよう」と決めて、大阪から上京しました。
エンタメ系の会社で、Webデザイナーとして、モデル・タレント・アイドル・声優のホームページをいくつも作りました。
本人とお話をしながら、それぞれのキャラクターを活かした個性的なサイトを作り、ファンが楽しんでくれること、ファンが増えていくことにやりがいを感じていました。
9人組の声優アイドルグループのサイトを作ったときのことです。サイトを訪れるたびに楽しんでもらえる仕組み、喜んでもらえる仕組みを作りたいと思い、メニューアイコンにカーソルを合わせるとメンバーが喋るようにしました。9人が喋るセットを80パターンぐらい作ったんです。それがランダムで出てくる。確率調整も行って、極端に出にくいレアなものもいくつか混ぜておきました。
そうしたら、ファンの方たちが掲示板で「アクセスするたびに喋る内容が変わる!」「これが全パターンのはず!」「このパターンが一番好き!」「いや、新しいのが見つかった」「運営が追加したか?」「やっとレアが出た!!」と勝手に盛り上がってくれました。
技術は単純です。デザインがそこまで特別だったわけでもありません。効いたのは「ファンの人がどうしたら楽しんでくれるか」「どうしたら期待を超えて喜んでくれるか」という設計だけでした。
結果的に関係者の大人の方々や、アイドルの皆さんにも喜んでもらえましたし、アイドルグループを知ってもらうきっかけにもなりました。サイトアクセスのリピート率も非常に高くなりました。
その後、独立系のレコード会社で、Webプロデューサーとして音楽ポータルサイト(メジャーレコード会社や日本全国のCDショップも参加し、FMラジオ番組とも連動した大規模なもの)の構築から運用を担当し、主に新人アーティストのファンを増やすコンテンツ制作に力を注ぎました。
そして、会社員として最後の転職先に選んだのは、サイバーエージェントでした。当時から、日本で一番のインターネット広告代理店です。他にも好条件のオファーをいただいていたのですが、もっとシビアに成果に向き合いたい、厳しい環境に身を置いて成長したかったので、サイバーエージェントを選びました。
Webディレクターとして、クライアントと制作者の間に入る仕事です。クライアントの要望を具体的な形にして、デザイナーやコーダーと一緒に成果が出るサイトに仕上げていく。
ところが、最初の1年間は思うように仕事ができず、何度も悔し涙を流しました。
はじめの頃は、クライアントとの打ち合わせで、話している内容が分からないんです。広告用語もマーケティング用語も分からない。大手企業のサイトに関わった経験もなかったので、ブランディングの考え方も、広報担当者の立場も分かっていない。話を振られてもうまく答えられない。意見も言えない。
成果をまったく出せなかったわけではありません。でも、第一線で仕事をしている先輩たちと同じレベルの成果が出せない。それまで自分なりにうまくやってきて自信もあっただけに、そのギャップが余計に堪えました。
そこからは、先輩のやり方を教わったり、先輩の過去の仕事や今やっている仕事を見て、ノウハウを盗んでいきました。毎日が勉強でした。つらかったけれど、楽しくもありました。
1年経って、ようやく納得のいく成果を出せるようになりました。構成案づくりは、先輩のみんなから任されるようになったぐらいです。
——独学だけでは、私はここに来られませんでした。人から教わり、人のやり方を見て、ようやく越えられた壁です。教える仕事をしている今、このときの1年をよく思い出します。